病める謙虚(学歴コンプの症例)

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→謙虚になろうという気持ちが溢れすぎたばかりに、他者にも謙虚でいて欲しくて堪らなくなる。

私自身の、一般全落ちを経て、AO合格した大学への進学が確定し発症した瞬間(2月)から、今(6月)までの症状の経過を説明する記事。


 全落ちした直後の日々3月は、以下のようなことを呪文の如く何度もツイートし、何度も話していました。

(謙虚になろう。自分は今まで何て自分を過大評価していたのか…。本当は、大学受験もロクにこなせない能無しだったというのに。学歴コンプで自分の大学を貶す人々がいるけど、そんなこと出来たもんじゃないな。

なぜかって、あれの根底には、他の学生よりも自分の方が知的に優れているという優越感があるわけですよね。そんな優越感持てたものじゃない。なんせ、私は世間一般にアホと呼ばれしAO入学者なので…。

…謙虚になろう。今まで傲慢すぎるくらい傲慢だったんだから、これからは謙虚すぎるくらい謙虚になろう。自分はこの大学の中の他の誰よりも頭が悪いんだと、そう思い込んで生活するようにしよう…。)

 先に断っておきましょう。私は全落ち以前までは、AO入試こそ最も優れた人間を入学させる入試形式だと思っていた節があるので、それが「世間一般にアホと呼ばれしAO入学者」という言葉を使うようになる高低差は清々しいですね。ただ、これは本当に全てのAO入学者がアホだと思ったのではなく、自分が他者より劣った存在であると思い込むための根拠に、世間によくある偏見を無理矢理持ち出した感が強いです。

 それはさておき。とにかく、謙虚になろうと強く思ったわけです。そんな思いを抱きつつ、他の新入生たちと交流するためにTwitterのアカウントを新規で作ったのでした。


 そして、大学垢のFFもまあまあ増え、タイムラインが賑わって来た4月、私は無限に苛立っていました。

(衒学者が多すぎる!この人間共、とりあえず哲学者の名前を引用しておけば知的に見せれると思っているのでは?!カント…キルケゴールニーチェ…等々、もうこの名前を何度見たことか……そんなにアレコレ引用して、君たちは本当に、それほど高飛車な態度で語れるまで彼らを理解出来ているのか?!とりあえず引用すればサマになるって理由で、自分の断片的な知識をむやみにひけらかしているのではないのか?!)

 苛立つ理由は他にもいくらでもあったのですが、割愛します。なぜなら、この記事でするべきことは彼らの批判ではなく、当時の自分の態度を批判的に考え直すことだからです。


 上に書いた苛立ちの中では、「衒学者」という言葉がキーワードです。これは「自分の知っている知識をむやみにひけらかす人」を刺す皮肉で、だいたい私は「知識をファッションにして優越感に浸る芋っぽい人」くらいの意味で使います。とにかく、私はあらゆる他の新入生を衒学者呼ばわりしたわけです。

 しかし、この展開はおかしいですよね。なんで謙虚になろうと思ったのに、他の人のことを皮肉っぽく衒学者と呼ぶんだ?謙虚になったなら、他者を以前より尊敬出来る人になるはずなのでは?


 ここで発見されたのが、病める謙虚の症状です。つまり、謙虚になろうという気持ちが溢れすぎたばかりに、他者にも謙虚でいて欲しくて堪らなくなるということです。

言い換えれば、多少なりとも自尊心を持たなければ、他者を尊敬出来なくなる、ということになります。

 更に具体的に考えます。謙虚になろう、と強く決意することは、まず自己否定から始まる試みです。あらゆる自己否定から自分を卑下し、実力に見合わない言動は今後慎もうとします。しかし問題は、この「あらゆる自己否定」にあるのです。つまり、自分の言動を振り返り、それら全てが間違っていたと思い込むことを頑張りすぎると、少しでも自分と似た要素を持つ他人まで全て認められなくなります。簡単に言えば、同族嫌悪なのですが。自分のここがダメだ、ここもダメだ、ここも、ここも、ここも、、、、と言い続けていると、自分の中にある「ダメな人間の条件リスト」が膨大に膨れ上がり、項目が増えれば増えるほど、自分以外の人にもそれが当て嵌まってしまう、ということです。これでは、自分を卑下するだけして、他者を尊敬することなどまるで出来ない状態と言えましょう。だから「病める謙虚」と呼びました。


 ところで、少し前に、自尊心が落ちてて自分について考えることに意義を見出せないのでブログの更新が滞ってる…みたいな投稿をしました。今回の記事では、その自尊心が落ちてる様子の分析を試み、それなり客観的に自分を見ようと努めましたが、残念ながら自尊心自体は全く回復してません。そんなうちに、とうとう自分のことを「有象無象の一般人」とまで呼べるようになってきてしまいました。最近、「何も為さずに死んでゆく」という言葉が何度も浮かびます。