【第2話】中高一貫校を卒業したので、6年間を回想します。

前回:【第1話】中高一貫校を卒業したので、6年間を回想します。 - #シュルーリレックの衒学徒

※前編、後編で終わる見込みが全く無いため本記事は「第2話」とします。

 中学3年になると、あらゆる外因が襲いかかり、私が子供であることを辞めさせようとしてきました。そして実際、この1年間で私は自分自身や周囲について、深く考え込むことを覚えました。

 つまり、受験勉強です。本当は、中高一貫なので、内部生はほどほどに勉強していれば然程苦労もせず高校に進学出来るはずでした。しかし、私のような学年最下層の人間となると話は全く別です。大量の課題や補習が特別に課されました。そして、先生からの叱責や、同級生が密かにする嘲笑を受け、劣等生の烙印に正面から向き合わざるを得なくなりました。自分が秀才であるという、それまで、自分の存在を支えてきた大きな物語が危機に晒されている訳です。中学3年という時期は、それを健気に守ろうとする自分と、乗り越えようとひたすら自分について思索する自分が、アフラ=マズダとアーリマンの如く戦っていた時期であると言えます。

 その日々は、3月から始まりました。まず、学年集会が開かれ、高校進学に当たって何をすれば良いのかを説明されました。どこの学校にもあるでしょう、ありふれた集会です。しかし、これが私にとっては、「勉強すること」への全面的な肯定として、大きな脅威となりました。「受験学年」になるということは、学年の誰もが「勉強すること」への積極的な肯定を強いられれるということなのです。それは、賛同しない者は、直ちに断罪されてしまう環境が誕生したことを意味しました。受験学年であるという事実が、生きている限りの全ての瞬間で私に勉強をすることへの積極的肯定を強い、従わない瞬間は常に糾弾され続ける世界を作り上げたのです。

 当然ながら、私は直ちにこの世界の否定を試みました。しかし、「勉強すること」への反抗を、単なる子供の「怠け」として続けるのでは勝ち目が無いことは目に見えていました。

そのため、この反抗に合理的な理由を付与しようとしたのです。

 私は、そもそも「勉強すること」とは何か、という原本的な問いを立て、これに対して極めて否定的な答えを出そうと試みました。勉強すること」を否定したいなら、それ自体に否定されるべき理由を見出せば良いからです。この作業は、初めから肯定する気など更々ない私にとって容易でした。自分の思う、勉強への悪印象を寄せ集め、それらの原因を探るだけの作業だからです。

 最終的には以下の二つが、私にとっての「勉強すること」とは何か、という問いへの答えに重要な要素となりました。第一に、「拘束」がありました。勉強とは、私が自由に行動することを阻むものだと思ったからです。

 次に、「統制」がありました。統制とは、人の個性を封じ込め、画一的な人間を生産することです。勉強に一切の肯定的価値を見出さない私にとって、積極的に勉強をする人々は全員統制されているが如く見えていました。また、当時の私は、Twitterの中で「出る杭は打たれる」思想に染まっていたため、「何らかの価値観に統制されることに慣れた人間」が社会に求められるのだろうと思い込んでいました。ですから、子供に勉強を課すことは、社会的に理に適ったプロセスであるのだろうと理解しました。

また、前記事で書いたよう、私は勉強をしない代わりに創作活動に勤しんでいました。創作活動こそ、十人十色の個性を示すと考えていました。ですから、私の創作活動を抑え込み、強制される勉強は、人の個性を潰すものだと考えたのです。

 最終的に、これらが組み合わさって完成した理屈はこうです。

「勉強とは、子供を拘束し、自由な行動を奪った上で画一的な人間の生産を目指し、個性を潰すために課される社会的プロセスである。」 言ってしまえば、たったこれだけでした。しかし、「統制」という語句は、あらゆる反論を全て封じ込める万能さがありました。「勉強による利益」をどれだけ説明されたとしても、「こいつも統制済みだ」と思えば全て無効化出来たからです。

 このような理屈で、私は自分の防御力を格段に高めました。私は、既に統制済みの哀れな同級生たちの中で、自分だけが唯一まだ「個性」を残した存在であるような気分でいました。確かに、私が何を考えていようが、勉強しない者が糾弾され続ける「受験学年」の世界が変わる訳ではありません。しかし、理屈として、この時の私は無敵でした。

 しかし、いつまでもそうでいられた訳ではやはりありません。最大の脅威は、当時の担任の先生でした。仮にK先生と書きますが、この先生は、鬼さながらの凄まじい迫力を持ち、厳しく、昔の女優のように綺麗な声で話し、やたら学歴に執着する先生でした。

 新学期に、この先生が担任になると知った時、私はまた絶望しました。K先生は、学年で最も厳しいと恐れられていた先生だったからです。きっと、勉強をしなければ毎日恐ろしい叱責が待ち受けているのだろうと思うと、悲しくて仕方ありませんでした。

 先生は、朝のHRでは毎日必ず勉強について話しました。例えば、朝学習の効用とか、毎日の予習・復習が基本、最低でも平日4時間、休日6時間の勉強が必要です、などです。また、成績優秀な生徒の勉強計画を他のクラスメイトに紹介したりもしていました。つまり、勉強をしたこともなく、する気もなかった私には、全く意味を為さない内容ばかりということです。私は先生を、心の中で「教祖」と呼んでいました。「勉強すること」を熱心に奨励する先生は、私にとっては「子供を統制しようとする大人」以外の何者でもありません。そして、熱心に勉強をする同級生たちは、全員哀れな狂信者に見えました。例えば、彼らがバスの中で英単語帳を眺めている光景があります。彼らは、自由を奪われるために学校へ輸送されていて、既に統制済みであるから、勉強の他にすることを知らないのだと思われました。私には、彼らが不気味でした。そして毎日、自分も自由を奪われ、統制されるために学校に行く社会的な規範から逃れられないのかと思うと、憂鬱でした。

 そんな新学期の幕開けの後、先生は私を含む数人の「先行き不安な生徒」に目を付け、放課後に残して「勉強計画」を立てるように言いました。今まで1分たりとも勉強したことのない人間が、どうして突然毎日4時間以上の学習計画を立てれましょうか?私は、私を統制しようとする権利に直接迫られた気分だっために心の底から不快でしたが、先生が恐ろしかったので、ひとまず何か書かざるを得ませんでした。しかし、何を書いても「それでは足りない」とか、「バランスが悪い」などと突き返されるので、結局先生が計画を立ててくださりました。それで、毎日それをしっかり守っていることを報告しなさい、ということになったのです。

 もう、目の前が真っ暗でした。帰りのバスの中で、密かに泣きながらTwitterに怒りを表明していました。毎日4時間「も」勉強をしろだなんて、自分が自分であるために使う時間が全て失われたも同然でした。私も、同級生たちと同様に統制を受け、社会のために生産されなければいけないのかと思うと、死んだ方がマシではないかと思いました。毎日達成度を報告しなければならなかったので、誤魔化しようがありません。その勉強計画は、まさに自由の死亡診断書だったのです。

 このようにして、私は毎日勉強をしなければならなくなってしまいました。これは春の話ですが、次の転機となる秋までの記憶はあまり残っていません。

【第3話】中高一貫校を卒業したので、6年間を回想します。 - #シュルーリレックの衒学徒