【第3話】中高一貫校を卒業したので、6年間を回想します。

【第1話】中高一貫校を卒業したので、6年間を回想します。 - #シュルーリレックの衒学徒

【第2話】中高一貫校を卒業したので、6年間を回想します。 - #シュルーリレックの衒学徒

     次の転機は、秋のことでした。それは、私が学校に対して激しく憤り、自分が学校の中でどのような「分際」だったのか、正面から突き付けられた事件でした。私は学校に反抗し、それは無残に打ち砕かれました。

 当時、私は毎日嫌々ながらも課題をこなすことで、国語と英語の学力は回復することが出来ていました。それどころか、国語は上位者になりました。これが、例の「私は優秀だから、やれば出来る」という大きな物語を大いに補強したのは言うまでもありません。しかし、理科と数学は依然として苦手なままだったので、この辺りからわたしの自称する「優秀さ」は、文系科目に限定されていきます。(社会科は元々得意でした。)

 ただ、とにかくも、依然として特に数学は極度に苦手だったために、「先行き不安」な生徒リストには留まっていました。学校は、時に融通が効きません。そのリストは、基準を下回る成績の有無だけで構成されました。一科目でも基準を下回れば、なぜか国数英三科目の課題が大量に課されたのです。私は、国語も社会では「優秀」であるはずであるのに、数学が極度に出来ないせいでいつまでも全般的なバカとして扱われました。

 理不尽です。私は、あくまでも国語と社会では優秀になれていました。それは成績が保証しています。にも関わらず、数学の成績だけを見て、全科目が出来ない者として扱われるのはおかしい。感情として不快でした。「いや、数学が出来てないんだから、優秀とは言えないだろ。」と思いますか。それなら、数学に特化して課題を出せば良いのです。大量にある国語の課題のせいで、苦手な数学の課題に使う時間が減ってしまうのでは、全科目で点を取らせる、という学校側の目的も本末転倒でしょう。

 更に、国語の課題を自己採点をして、満点で提出したために、ある先生「答え写してるんじゃないですか?」などと疑いをかけられることすらあったのです。嫌々ながらも真面目に課題をこなしていたのに、何だ、この言い様は。私を最初からバカだと決め込んでいるのか。失礼にも程がある。

 完全に腹を立てたので、学校に反抗してやろうと思いました。国語の課題は全部無視して、咎められれば「順位を見てください?なんなら今ここで問題出してくれてもいいんですよ笑」くらい言うつもりだったのです。

 しかし、結論から言えば通用しませんでした。私は、「自分は国語の成績は優秀なんだから、課題を毎日課されるのは理不尽。それをやる時間で、苦手な数学の勉強をした方が良い。」という、合理的なはずの理由を持って、課題をやらないという反抗をしました。けれども、学校にとってそんなことはどうでも良かったらしいのです。とにかく、出された課題に従わない生徒がいるのが問題でした。やはり、勉強とは「子供を拘束し、自由な行動を奪った上で画一的な人間の生産を目指し、個性を潰すために課される社会的プロセス」だったのです。(※2話参照)  その意味で、私は単に「不従順な者」として扱われました。先行き不安な生徒リストから抜け出すことも出来ません。課題は、全科目で更に増やされました。同級生には、「あいつまだ課題出されてんの笑」と冷ややかな目線を向けられました。国語と社会では、彼らよりも私の方が遥かに点を取っていたのに!あまりの悔しさに、夜な夜な涙を流しながら、Twitterの鍵垢で迫真のお怒り表明をしていました。

 さて、この件で私が得たことは、現代文の読み方とか、英文法とか、数学の解法などでは全くありませんでした。学校は、私の話など聞く気がまるでないということ、ただそれだけです。とにかく、私がやるべきことに従っていなかった点で、発言に耳を傾けてやる意義など見出されなかったのでしょう。或いは、聞く前からバカな中学生の戯言として決め込まれていたのかもしれません。

 私が、国語の課題をやらないという反抗をした時、国語科で若い女性の先生に責め立てられました。やらない理由なんて問題ではないのです。課題をやらないから、悪いのです。私はごく普通に泣きました。先生に怒られて、自分の主張をそもそも聞いてもらえないので、悔しくて泣いていました。放課後の職員室の端で、泣いていてろくに話も出来なくなっている私の前には、しかめっ面や先生が1人いて、横を何人もの先生たちが何事もなく通り過ぎてゆきました。廊下からは、楽しそうに騒ぐ生徒たちの声が響き、吹奏楽部の軽快な演奏も聞こえていました。学校の中で、惨めに震えながら泣いているのは私だけだったのです。あの時の孤独感といったら、凄まじかったです。

 しかし、そんな時に、「おいおいどうしたんだい」と、同じく国語科で年配の女性の先生が私に声をかけてくださりました。S先生としましょう。私は、S先生と関わったことは一度もありませんでしたが、友人がこの先生を絶賛することはよく知っていました。授業がわかりやすいとか、優しいだとか。それ故、私はこの先生に救いを見出しました。それまで私を叱っていた先生は、言い分を全く聞いてくれなかったけど、S先生なら受け止めてくれるかもしれない。そう思い、私は声を詰まらせながらも、一生懸命に事情を説明しました。S先生は、「うんうん」と、相槌を打って、話を聞いてくれている素振りを見せたので、私はいくぶん安心しました。それで、自分の気持ちのより深い部分まで吐き出してしまったのです。

 それは、自分の創作活動についてでした。前記事でも書いたよう、当時の私は創作活動をしていました。表現することが、人をその人たらしめる手段だと信じていました。私にとって絵を描くことは、私が私であるための大切な行為だったのです。しかし、大量の課題は、その時間を容赦なく奪い取ってゆきました。先生たちは、勉強することは善であると、当然の如く言うけど、私にはそれがよくわからない。私にとっての勉強は、そんなに良いものには思えない…。泣いていたので、容量を得ていなかったかもしれませんが、大体こういう旨のことを話したはずです。初めて関わった先生にここまで言ってしまったのは、泣いていて気持ちが昂っていたのもありますが、友人たちの評価から、S先生を信頼していたのがありました。それに、国語の先生なんだから、文学なんだから、わかるでしょ、とも思っていました。

 S先生は言いました。「うーん、なるほどね…。」

「うんうん、悔しいと。」

(そう、私は悔しいんだよな…。)

「勉強が出来ないのが。」

(えっ?)

 S先生は、私の健気な説明を、このように要約したのです。私は、勉強が出来なくて、同級生に見下されているから、悔しくて泣いていると。

 この人は、一体何を聞いていたのでしょうか?確かに、私は泣いていたから、わかりやすい話はしていなかったでしょう。しかし、この時の私は、S先生が要約したようなことは全く思っていませんでした。ですから、どんなに私の話がわかりづらかったとしても、こういう要約になる筈がありません。そもそも、要素が無いのですから。

 私は、更に泣きました。失望と、再び襲ってきた孤独感に泣いたのです。 

S先生は、私を慰めました。

「うんうん、辛いよな。じゃあさ、課題やらなきゃいけないよね?」

 S先生は、泣きじゃくる私の背中をさすってくださりました。

 この人は、態度としては他の先生よりも遥かに優しかったです。しかし、結局私の話を聞いていないという意味では、全く同じでした。

どうせ、私は「勉強が出来ない生徒」として処理され、私の話は、そこから勝手に連想されるストーリーとしてしか解釈されなかったということです。誰も、私が本当に言いたいことなど聞こうとしていませんでした。

 このエピソードは、今日に至るまででも、特に悲しかった出来事として残っています。もう、こんな学校にいたくないと強く思いました。そもそも、この中学の先にある高校に入るために課題をこなしているわけだけど、その高校だってこういう世界なんじゃないの?それなら行きたくなんかない。今からでも、別の高校…美術系とか、定時制とか、通信制とか、そっちを探した方が良いのかもしれない…。そんなことを考えていたのが、中3の秋です。

続く