【第2話】中高一貫校を卒業したので、6年間を回想します。

前回:【第1話】中高一貫校を卒業したので、6年間を回想します。 - #シュルーリレックの衒学徒

※前編、後編で終わる見込みが全く無いため本記事は「第2話」とします。

 中学3年になると、あらゆる外因が襲いかかり、私が子供であることを辞めさせようとしてきました。そして実際、この1年間で私は自分自身や周囲について、深く考え込むことを覚えました。

 つまり、受験勉強です。本当は、中高一貫なので、内部生はほどほどに勉強していれば然程苦労もせず高校に進学出来るはずでした。しかし、私のような学年最下層の人間となると話は全く別です。大量の課題や補習が特別に課されました。そして、先生からの叱責や、同級生が密かにする嘲笑を受け、劣等生の烙印に正面から向き合わざるを得なくなりました。自分が秀才であるという、それまで、自分の存在を支えてきた大きな物語が危機に晒されている訳です。中学3年という時期は、それを健気に守ろうとする自分と、乗り越えようとひたすら自分について思索する自分が、アフラ=マズダとアーリマンの如く戦っていた時期であると言えます。

 その日々は、3月から始まりました。まず、学年集会が開かれ、高校進学に当たって何をすれば良いのかを説明されました。どこの学校にもあるでしょう、ありふれた集会です。しかし、これが私にとっては、「勉強すること」への全面的な肯定として、大きな脅威となりました。「受験学年」になるということは、学年の誰もが「勉強すること」への積極的な肯定を強いられれるということなのです。それは、賛同しない者は、直ちに断罪されてしまう環境が誕生したことを意味しました。受験学年であるという事実が、生きている限りの全ての瞬間で私に勉強をすることへの積極的肯定を強い、従わない瞬間は常に糾弾され続ける世界を作り上げたのです。

 当然ながら、私は直ちにこの世界の否定を試みました。しかし、「勉強すること」への反抗を、単なる子供の「怠け」として続けるのでは勝ち目が無いことは目に見えていました。

そのため、この反抗に合理的な理由を付与しようとしたのです。

 私は、そもそも「勉強すること」とは何か、という原本的な問いを立て、これに対して極めて否定的な答えを出そうと試みました。勉強すること」を否定したいなら、それ自体に否定されるべき理由を見出せば良いからです。この作業は、初めから肯定する気など更々ない私にとって容易でした。自分の思う、勉強への悪印象を寄せ集め、それらの原因を探るだけの作業だからです。

 最終的には以下の二つが、私にとっての「勉強すること」とは何か、という問いへの答えに重要な要素となりました。第一に、「拘束」がありました。勉強とは、私が自由に行動することを阻むものだと思ったからです。

 次に、「統制」がありました。統制とは、人の個性を封じ込め、画一的な人間を生産することです。勉強に一切の肯定的価値を見出さない私にとって、積極的に勉強をする人々は全員統制されているが如く見えていました。また、当時の私は、Twitterの中で「出る杭は打たれる」思想に染まっていたため、「何らかの価値観に統制されることに慣れた人間」が社会に求められるのだろうと思い込んでいました。ですから、子供に勉強を課すことは、社会的に理に適ったプロセスであるのだろうと理解しました。

また、前記事で書いたよう、私は勉強をしない代わりに創作活動に勤しんでいました。創作活動こそ、十人十色の個性を示すと考えていました。ですから、私の創作活動を抑え込み、強制される勉強は、人の個性を潰すものだと考えたのです。

 最終的に、これらが組み合わさって完成した理屈はこうです。

「勉強とは、子供を拘束し、自由な行動を奪った上で画一的な人間の生産を目指し、個性を潰すために課される社会的プロセスである。」 言ってしまえば、たったこれだけでした。しかし、「統制」という語句は、あらゆる反論を全て封じ込める万能さがありました。「勉強による利益」をどれだけ説明されたとしても、「こいつも統制済みだ」と思えば全て無効化出来たからです。

 このような理屈で、私は自分の防御力を格段に高めました。私は、既に統制済みの哀れな同級生たちの中で、自分だけが唯一まだ「個性」を残した存在であるような気分でいました。確かに、私が何を考えていようが、勉強しない者が糾弾され続ける「受験学年」の世界が変わる訳ではありません。しかし、理屈として、この時の私は無敵でした。

 しかし、いつまでもそうでいられた訳ではやはりありません。最大の脅威は、当時の担任の先生でした。仮にK先生と書きますが、この先生は、鬼さながらの凄まじい迫力を持ち、厳しく、昔の女優のように綺麗な声で話し、やたら学歴に執着する先生でした。

 新学期に、この先生が担任になると知った時、私はまた絶望しました。K先生は、学年で最も厳しいと恐れられていた先生だったからです。きっと、勉強をしなければ毎日恐ろしい叱責が待ち受けているのだろうと思うと、悲しくて仕方ありませんでした。

 先生は、朝のHRでは毎日必ず勉強について話しました。例えば、朝学習の効用とか、毎日の予習・復習が基本、最低でも平日4時間、休日6時間の勉強が必要です、などです。また、成績優秀な生徒の勉強計画を他のクラスメイトに紹介したりもしていました。つまり、勉強をしたこともなく、する気もなかった私には、全く意味を為さない内容ばかりということです。私は先生を、心の中で「教祖」と呼んでいました。「勉強すること」を熱心に奨励する先生は、私にとっては「子供を統制しようとする大人」以外の何者でもありません。そして、熱心に勉強をする同級生たちは、全員哀れな狂信者に見えました。例えば、彼らがバスの中で英単語帳を眺めている光景があります。彼らは、自由を奪われるために学校へ輸送されていて、既に統制済みであるから、勉強の他にすることを知らないのだと思われました。私には、彼らが不気味でした。そして毎日、自分も自由を奪われ、統制されるために学校に行く社会的な規範から逃れられないのかと思うと、憂鬱でした。

 そんな新学期の幕開けの後、先生は私を含む数人の「先行き不安な生徒」に目を付け、放課後に残して「勉強計画」を立てるように言いました。今まで1分たりとも勉強したことのない人間が、どうして突然毎日4時間以上の学習計画を立てれましょうか?私は、私を統制しようとする権利に直接迫られた気分だっために心の底から不快でしたが、先生が恐ろしかったので、ひとまず何か書かざるを得ませんでした。しかし、何を書いても「それでは足りない」とか、「バランスが悪い」などと突き返されるので、結局先生が計画を立ててくださりました。それで、毎日それをしっかり守っていることを報告しなさい、ということになったのです。

 もう、目の前が真っ暗でした。帰りのバスの中で、密かに泣きながらTwitterに怒りを表明していました。毎日4時間「も」勉強をしろだなんて、自分が自分であるために使う時間が全て失われたも同然でした。私も、同級生たちと同様に統制を受け、社会のために生産されなければいけないのかと思うと、死んだ方がマシではないかと思いました。毎日達成度を報告しなければならなかったので、誤魔化しようがありません。その勉強計画は、まさに自由の死亡診断書だったのです。

 このようにして、私は毎日勉強をしなければならなくなってしまいました。これは春の話ですが、次の転機となる秋までの記憶はあまり残っていません。

【第3話】中高一貫校を卒業したので、6年間を回想します。 - #シュルーリレックの衒学徒

【第1話】中高一貫校を卒業したので、6年間を回想します。

28日の昼、友人から驚きのLINEが届きました。

明日が卒業式になるという突然の知らせです。そうか、政府の例の発表の影響か...。

そして、センチな回想をすることもなく次の日になり、いつまでも日常のように登校し、教室にいた訳です。

 


集団感染予防で、HRクラスだけで行われた卒業式は、むしろ良かったと思います。

誰だか全く知らない大勢が、次々生産ラインの如く証書を渡され続ける退屈な景色が無いのは幸いでした。

 


時間割が終了し、先生方や友人と会って騒ぐなり写真を撮るなりし、結局は1人でバスに乗って帰りました。Twitterを開き、やっぱり慶應文学部に合格したかったなどといつまでも未練がましいツイートをし、景色を眺めることも忘れていました。

そうして、この学校での6年間は閉じたのでした。

 


それから既に1日経ったのですが、1つの日常が消えた自覚があまりにも無い。

ので、こういう記事を書いて6年の日々が過ぎたことを知ろうとしてみます。

 

※先に書きますが、恐らくすごく長い文章になります。覚悟してください。


2014年4月。中学生1年生である。

 


初めて乗った、自宅から学校の最寄駅までのバスが大幅に遅れ、入学式への遅刻が確定し半泣きで母親と口論をした記憶があります。ああ、初日からこんな失敗をしたのではもう学校生活は終わりだ……などと絶望を募らせながら、校歌斉唱の聞こえる体育館へとぼとぼ歩きました。このようにして、私の長い6年間が始まった。

 


恐らく入学後1週間以内でしょう、HRクラスで担任の先生がレクを開いてくれました。

この先生については、高校を卒業した今、今後の人生で二度と縁が無いだろうと確信しているので紹介しましょう。国語科の、若い男性の先生で、並外れて達筆な字から、物静かで真面目な雰囲気がありました。

レクの中で、私はヤンチャな男の子と同盟か何かを組んで、楽しんでいました。小学生の時の私は、殆ど男の子の友達ばかりでしたから、今後は彼と仲良く出来るだろうと思いました。

結局その後、見えない意識の中に中学生のヒエラルキー形成され、彼はその頂点の者となり、最下層の私は二度と無縁だったのですが。

 


さて、中学1年生は、私にとって最も暗い時代の1つだったと言えます。「自分が並外れた秀才である」という自意識を守ることに必死でした。

 


つまり、努力もせずいつまでも自惚れていました。最初の中間試験で殆ど最下位の点数を取ると、呼び出され、担任の先生と面談をすることになりました。

先生は私に、優しく尋ねました。

「君は入試の成績はとても良かったのに、一体どうしてしまったの。」

前半部分が、あまりにも私の耳に心地良かった。私は何と返したか。

 


「私は誰よりも大人びた考えを持ち、誰よりも頭が良い。この学校は騒ぐことしか知らない猿が多すぎる。そもそも、この学校のレベルが私に合ってない。小学校の頃の友人は、県内トップの進学校に行ったし、私だってそのくらいの頭脳があるんだ。だから、この学校の勉強には飽き飽きして、やる気にならない。」

 


要約するとこうでしょう。大馬鹿者です。これほどの馬鹿はなかなかお目にかかれない。

結局、この後中学3年になるまで、歴史でクラス1位を取る他には全て最下位に近い点数でした。

 


しかし、ここで読者の方にお尋ねしたいですが、なせ私が「私は秀才だ」などと言いながら、何も努力をしなかったのかわかりますか。

 


それは、自分自身を支える大きな物語を守るためです。中学生になって、自意識が強くなると、自分とは何かという問いに敏感になりました。私にとって、その答えは「秀才であること」でした。なぜなら、小学生までの私は常に何かしらで受賞していたから…。他の人よりも特別頭が良いはずだから…。

体育館の中で、大勢が床に座る中で1人立ち上がり、段上で校長先生から賞状を手渡され、拍手を浴びることが、私にとっての普通でした。卒業文集には、子供の字で早稲田大学の文学部に進んで学者になるとまで宣言していました。私にとって、自分とか何かという問いの答えは、「秀才であること」の他にあり得ませんでした。秀才であること故に私であり、秀才でなければ、それは自分自身への存在否定へとなり得ました。しかし、そこで、「秀才であること」を守るなら、尚更熱心に勉強するのが普通だろう、思われるかもしれませんが、それは私にとっては間違いです。なぜなら、私は熱心に勉強した上で、秀才になれないことに怯えていました。熱心に勉強して、もしも優秀な結果を出せなかったら…。そうなると、私が秀才であるという「可能性が消えてしまう」と考えていました。逆に、熱心に勉強をしなければ、自分は「やる気になれば」秀才であるという「可能性を残す」ことが出来たのです。このようにして、私は、努力をしないことで、自分が秀才であるという可能性を守っていました。当時の私は、テストの点数がほとんど最下位であるにも関わらず、自分が秀才であることには一切の疑いを持っていなかったのです。

 


しかし、当然ながら、内部でこのような理屈を捏ねて自分を守っていたところで、他人にはそれはわかりませんから、私は私にとっては「不当な」、周囲にとっては「妥当な」扱いを受け続けました。特別に課題の量や、授業数を増やされるなどです。私は、整合的かつ矛盾した自己防衛の中で、いつまでも虚勢を張っていました。暗い日々でした。それが、中学1年生です。

また余談ですが、先の当時の担任の先生は、私のような扱いに困る生徒たちの対応に心を病んで、学校を去ってしまいました。

 

 

 

次に、2年生の回想をします。

春頃から、学校を休むことが多くなりました。朝に、人間のように目を覚ますことが出来なくなったからです。眠る私は、母に揺さぶられ、大声で呼びかけられ、頭から水をかけられても目を覚まさなくなりました。それは、眠っているというより、意識という土の下に眠るゾンビの姿…。少し意識が回復したとしても、それは人間としての目覚めではなく、自我を半分欠いたゾンビ…のような、とにかく、まともに人間として生活出来る姿ではなくなりました。ゾンビはいつまでも人間になれなかったものですから、学校に行くことのハードルが、ただでさえモチベーションなど無かったのに、普通の人の何倍も跳ね上がってしまいました。これは、規律性調節障害という、自律神経の病気らしいです。1年生の生活が、繊細な私の精神にあまりにも圧をかけたせいでなってしまったと言うのです。全て自分で蒔いた種だというのに、ストレスで病気になるとは立派な御身分ですよね。実は、今でもこの病気は治ってなくて困っているのですが。何にせよ、この病気のせいで、「普通の生活」を送ることが出来なくなってしまいました。

 実生活での絶望は深まるばかりでした。母は優しいので、よく色々な所に連れ回してくれましたが、私は、例えば神社とかに来た時には必ず「今年中には死ねますように。」と祈っていました。他にも、寝る前の布団の中などで常に死にたいと願っていたのは事実ですが、まぁ、願う他には特に何もしませんでした。

 このように、実生活では絶望していましたが、趣味を1番楽しんでいたのもこの時期でした。Twitterを始め、作品を公開し、画面上で人と仲良くすることにのめり込んで行きました。Twitter上であれば、自分で天才を自称しても、現実のように横槍を入れる者はいませんでしたし、周囲を自分を褒めてくれる人間で固めることも簡単でした。私は、いつまでも空虚かつ都合の良い自意識に甘え、Twitterを自分の「お城」に変えたのでした。いつまでも子供でいようとしていました。

 しかし、ここまで批判的に書きましたが、このような環境で良いこともあった訳です。この頃は、私のあらゆる趣味が爛熟した時代でした。元々私は幼少期から絵を描くことが好きだったのですが、それが転じて本当に様々なものを作りました。歌声合成ツールUTAUで自作の音源ライブラリを作ったり、AviUtlで動画を作ったり、wixで自作のサイトを作るなど…。人は、「未来への自己投資」という手段を知った途端、刹那的な遊びが出来なくなるものですが、当時の私はこの刹那的な遊びが本当に得意でした。この時に作った作品は、数えきれないほど多くありますが、今でも本当に素敵だと思って眺めます。絵に関して言えば、彩度が高いかつ明度の低いグレイッシュトーンを頻繁に使いました。あの配色の絵は今では描けなくなってしまってしまいました。私は、中学2年の自分の在り方を否定することは出来ますが、当時の作品はやはり今でも好きだと言えます。

まとめると、中学2年生は、実生活への絶望を募らせつつ、刹那的趣味として多くの作品を作り出した時期でした。

 


中学3年になると、あらゆる外因が襲いかかり、私が子供であることを辞めさせようとしてきました。

 

次回へ続く。【第2話】中高一貫校を卒業したので、6年間を回想します。 - #シュルーリレックの衒学徒

【書き殴り】大学生になったらしたいこと

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こんばんは。

 今日は体調を崩して寝込んでいたので、気分がかなり落ちているのですが、母親が入試の受験料を入金してきてくれました。センター試験も殆ど直前という時期になり、この受験生という、常に向上心と怠惰の狭間にいるような日々も終盤に差し掛かっています。私は、過去問の点数にゴーサインを出されつつも、自分が優秀な受験生であるという自信はどこにも見当たらないので、「身の程」の感覚が掴めないままここまで来てしまいました。

 

「大学生になったらしたいこと」が沢山あります。

 前から、具体的には高校生になって、定期試験に沿って生活を多少は律することをし出した時から、「あれが終わったら、あれをしよう」という、今の欲望をヤマの後に持ち越すということをしてきました。しかし、不思議なもので、いざヤマを越えたら、あんなにやりたかったことが味気なく思えるのは、「あれをしたい」という気持ちが募れば募るほど、それを達成する経験は夢のように美化されてゆき、いざ達成すれば、夢の方が余程魅力的だったと悟るからでしょうか。

 この理屈で行くと、私の大学生活もまた「思ったほどじゃない」となりかねない。なぜなら、今の私は大学生になった自分、正確には受験生活を終わらせた自分に沢山の夢を託しているからです。

 ここに、大学生となった自分が、広大な自由を前にしてそれを無為にしないように、、受験生活終盤に差し掛かった自分の、「大学生になったらしたいことリスト」を作成しておこう。

 

【勉強に関して】

・仏語、古代ギリシア語の勉強

→人文学を趣味の域から越えてやるには語学が必要だと考える。

仏語は、ベンヤミンは勿論に、ロラン・バルトとかレヴィストロースに興味があるから。古代ギリシア語は、哲学を専攻にする可能性があるから。

 

・英語の勉強

→話せるようになる。よく知らないけど、TOEICとかあるしそれで高得点を目指そう。

 

・月1のテーマ研究。

大江健三郎がやってたやつ。一か月、自分でテーマを決めてそれについての本を読みまくる。とりあえず、最初の4月は多木浩司の著作を沢山読みたい。

 

・プログラミング。

→この先の社会が、情報技術にかなり依存するのかな、と思うと無知でいられない。

今はよく知らないので、何の言語とかは言わないでおく。あとunity使ってみたい。

 

・今までやってこなかった科目の勉強

→東大に行けなくても、触れることはできる。【数学】、物理、化学、生物、地理、【日本史】。公民系は大学の勉強でやるのかなあ(知らない)

 

・検定各種。

世界遺産検定とか、美術検定とか、歴史検定とか。趣味みたいなもの。

 

・読書

→当然なんですが。具体的な内容はこの記事の最後に書いておく。

 

【外見に関して】

・髪型

→パーソナルカラー(?)に応じて染める。ややアッシュのダークブラウンがいいな~

 

・メイクの研究

→向上心はある

 

・服装

→パーソナルカラー(?)に応じて考えよう。ブリティッシュスタイルとか良いと思います。

 

・コンタクトにしたい

→気絶しなければね....

 

【娯楽に関して】

・某友人とカラオケに行きたい!!

→最近元気なさそうだなあ、、

 

・マインクラフト建築師やりたい!

→「夢」ですよね

 

・自作のゲーム作りたい!

→unityを覚えましょう

 

コミティアに参加したい!

→何を作るのかは謎

 

・電車小旅行をする

→まずは銚子に行きたい。他は知りません。

 

【生活について】

三鷹に住む

→なぜ三鷹?諸事情です。中央大学に進学する場合にのみ親に許されてるんですけど、中央大学に進学しない場合でも三鷹に住みたい。どうすればいいかな。

 

・料理する

→現状かいめつ。人に手料理を振る舞うということがしたい。

 

・清潔な場所に住む

→実家がひどすぎるので。(両親の生活スペースが汚すぎる。)

 

・生活リズムを正す

→いつまでも遅刻常習犯じゃダメでしょ。大学留年しそう

 

・満員列車に乗りたくない

→人権のため

 

【読書について】

 ・多木浩司の著作(n回目)

・モンタネッリの著作→本当にずっと読みたがってる

ロランバルト記号論

フーコー『監獄の誕生』

・レヴィストロース→動物の名前のやつ(アバウトだな~)

ベンヤミン『パサージュ論』

 ・アンダーソン『想像の共同体』→なんだかんだちゃんと読んだことはない

マクルーハングーテンベルクの銀河系』→高2から読みたがってる

佐藤賢一『小説フランス革命シリーズ』→途中でやめちゃったけど本当に好きなので

・日本史関連→極端に知らない

・歴史関連いろいろ→「世界史の窓」で紹介されてたのとか

・東南アジア研究→文化人類学の方面で

 

ひとまずこのくらいにしておこう。

何より、書きながら思ったけど「今」の最大の「やりたいこと」は大学に受かることですよね!!そうでした、、、

 

さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回転寿司の宣伝を考える。はま寿司の「エコースシチェーン問題」

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 はま寿司に行って、驚きました。

そこには既に、「回る寿司」が無かったからです。上下のレーンが直送になって、完全オーダー制になっていました。以前から、受付をpepper氏が担当しているなどで、なにかと「先を行く」イメージがあったはま寿司ですが、ついにここまで来たんですね。

 今回は、飲食店、ないし回転寿司業界の宣伝について勝手な考察をした上で、完全オーダー制にしたはま寿司に将来起こるかもしれない「エコースシチェーン」問題の予言をします。これは、情報分野で言われるエコーチェンバー問題の理屈を、回らない寿司店に持ち込んだものです。

 

回転寿司の廃棄問題

  そもそも、なぜはま寿司は、回転寿司の要である「回転」をなくしたのでしょう。恐らく、廃棄される商品が勿体無いとか、鮮度が落ちるとか、そのあたりでしょう。

 実際、以前から回転寿司業界において、廃棄率の削減は最重要課題であり、各チェーンごとに独自の対策がなされていました。例えば、以下の引用記事によれば、くら寿司やスシローは、お皿にICチップを埋め込んで、客とか商品の動きをビックデータとして蓄積することで、店舗の流れを予測して商品のレーンに流すタイミングを決めるらしい。(※注1 斜め読み要約)また、かっぱ寿司が近年かなり業績を落としていた一因には、この問題への対応の遅れがあります。(※注2) そのような中で、はま寿司としての取り組みは「寿司を回さない」というものであったのだろうと思います。

※注1:

www.ecmj.co.jp

※注2:

blogos.com

いずれも2019.12.21閲覧。

 

▶完全オーダー制のはま寿司

 さて、回らない寿司屋となったはま寿司でどう商品を選ぶのかと言えば、いつものタッチパネルを操作するのみとなります。注文すると、20秒くらいで寿司が座席の横に滑り込んできました。圧倒的スピード感。そして、ご飯がほんのり温かくておいしかったです。(以前スシローに行ったときは、オーダーを忘れられたあげくネタが凍っていました。)

 しかし、タッチパネルで好きなネタを探しながら思ったのですが....

これ、回転寿司特有のランダム性が死んでる.....

 

 

「エコースシチェーン問題」

 突然ですか、皆さんは「エコーチェンバー問題」をご存知でしょうか。

これは、2016年のアメリカ大統領選を契機に意識されはじめた情報分野の用語で、端的に言えば、「ユーザーが、見たい情報だけを閲覧し、偏った情報のみが選択し続けることで、盲目的になってしまう」ことを言います。

 

見たい情報だけを見て、偏った情報を選択し続ける...。

 

完全オーダー制のはま寿司って、これに似てませんか?

つまり、食べたいメニューのページだけを見て、偏った商品を食べ続けるということです。

 

▶客の実質的な選択肢

 いやいや、それ大抵の飲食店で言えることでしょ。

という声が聞こえてきそうです。確かに、どんなにメニューが充実したお店であっても、同じものしか頼まない人は必ずいるでしょう。

 しかし、です。飲食店において、客の「実質的な」選択肢が減るということは、かなり致命的なように思えます。ここで「実質的」という言葉を使うのは、実際にどんなに多くの商品のレパートリーがあっても、それが客の選択肢に入らなければ売り上げに繋がらないからです。つまり、客の実質的な選択肢とは、客に認知された上で、選んでみてもいいかな、と思わせた商品であって、お店側が用意したメニューではありません。

 客の実質的な選択肢の少ないお店は、きっと続きません。なぜなら、普段買う商品に飽きたらもうお店に行かなくなるからです。そこで、飲食店は、客の実質的な選択肢を増やす必要があります。そのために、メニュー表のでデザインに凝ったり、CMやクーポンなどの宣伝を出したりするのではないでしょうか。これらを手段で、客に未知かつ魅力的な商品を「気付かせる」訳です。マックがダブルチーズバーガーのCM出してる所なんて、見たことないですよね。

 

▶回転寿司における実質的な選択肢

 マグロやサーモンといった定番商品は、恐らくアピールしなくても勝手に選ばれるでしょうから、仮に、これらが売り上げを支える基盤であるとしましょう。客のほぼ全員がこれらはを選ぶとすれば、売り上げの基盤は来客の数だけ伸びます。

 問題は、この先です。定番の以外の商品を、いかに選んでもらうか。実質的な選択肢を、定番の他にどれだけ広げられるか。

  回転寿司における客の実質的な選択肢は、何によって増えるでしょうか。当然、他の飲食店と同様にCMもあるとは思うのですが...、最大の特徴は、何よりも横に商品と宣伝が流れ続けることに他なりません。

 これは私の個人的見解ですが、回転寿司で「牛肉炙り」のような肉系の握りとか、「ツナサラダ」とか「マヨコーン」のような捻りのある軍艦を真っ先に選ぶ人は少数派なはずです。このような商品は、意気込んでオーダーするというよりは、メニューとかレールを見て、存在を思い出して不意に選ぶ、といったようなシチュエーションが多い気がします。

  回転寿司の売り上げは、このような、定番商品以外の商品を、「いかに気付かせるか」にかかっているのではないでしょうか。

 

 ▶完全オーダー制のエコースシチェーン「問題」

 以上のことを踏まえて、完全オーダー制にしたはま寿司を考えると、やや心配ではあります。まず第一に、流れるレーンという最大の情報源が失われているからです。じかに流れる商品、その隣にあるキャッチは、不意打ちで客の食欲を刺激します。これが無くなってしまうと、客が予め念頭に入れていない商品の以外からの売り上げ、つまり、基盤となる売り上げの先を行く部分が減少してしまうのではないでしょうか。

 そうなってくると、第二には、やはりレーン以外の部分ー、例えば座席周辺とか、タッチパネルの内部での宣伝が重要となってきます。しかし、はま寿司はどうでしょうか。

 座席周辺の宣伝は確かに、一部のサイドメニューと高級ネタ、新商品と、定番以外の部分を押さえています。しかし、それはあくまでも一般的なもので、むしろ他チェーンと比べて控えめですらあります。到底、流れるレーンが失われたという損失をカバー出来るものではありません。

 更にタッチパネルですが、これも微妙です。はま寿司のタッチパネルって、反応悪いし、設置高いし、はっきり言って使いずらいです。これは良くありません。タッチパネルを操作する、目的のネタのページを探すだけでひと苦労なのですから、「不意に」定番以外の商品に気付く余裕なんてありません。

 

 こうなってくると、客の実質的な選択肢は減ってしまう可能性があります。定番以外の商品は思い出されることがなくなってゆく....。これは、寿司チェーンとしてかなりまずいのではないでしょうか。売り上げの減少は言うまでもないですが、更に言えば他のチェーンとの差別化が難しくなるからです。マグロやサーモンは、くら寿司でもスシローでもかっぱ寿司でも魚べいでも元気寿司でも銚子丸でも、どこにでもある訳です。

 

 とは言え、はま寿司には、他のチェーンには無い最大の魅力として、「豊富な醤油」があります。私はこれ故に、多くある寿司チェーンの中でもはま寿司が一番好きです。ぜひ、これで更に成長して欲しいと切に願います。

最後に

 書いていたら、思った以上に痛烈な内容になってしまったのですが、私は本当にはま寿司が好きなんです。前に書いた醤油もそうだし、何より他と比べておいしいです。ご飯があったかい。くら寿司とかいつもキンキンに冷えてますし。

 こんな、経営も学んでない高校生が憶測だけで書いたブログなんて何の意味も成さないし、むしろ失礼なレベルだとは思うのですが、とにかく私ははま寿司が好きです。

さようなら。

 

他のユーザー様の、はま寿司の記事です。↓

odajin.hatenablog.com

 

ttttpasent.hatenablog.com

 

 

 

【旧記事】自己紹介

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最新版はこっちです→【最新版】絶望を乗り越えて自己紹介2020春 - #シュルーリレックの衒学徒

 

2019/12/12

多少の訂正を加えるつもりが、誤操作で全ての文章を消してしまいました。(ガーン)

前に書いたのも1ヶ月ほど前ですが、せっかくなので書き直してみます。

 

名称:「ホ」周辺

 少し前までは、所謂ハンドルネームがあったのですが、自分にコンテンツとしての一貫性を与えることに無理を感じたので名乗るのはやめました。いちおう、目印として「ホ」があれば伝わります。よくあるのは、「ホンポーさん」とか、「ホホホさん」とかです。

 

何者:高校3年生

 現在受験生です。高校生活は人文学の周辺の勉強に費やしました。(具体的には、西洋史→宗教学→西洋美術史→メディア論→情報学→美学)

 夏に慶應SFCAO入試と、筑波のAC入試を受験して惨敗し、最近やっと都内某私立大学(文学部哲学科)の合格を頂きました。現在は、さらに高みを目指すべく早稲田大学の文化構想学部を志望して勉強してます。受かりたいなあ。

 

関心:美学・哲学分野(特に20世紀以降) あと情報環境

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影響を受けた思想・書籍は以下の通りです。

ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』

フルッサー『写真の哲学のために』

フーコー『監獄の誕生』

・アンダーソン『想像の共同体』

濱野智史(2008)『アーキテクチャの生態系』

 

 自分をベンヤミンの複製技術論無しに語ることは出来ません。彼を知ったのは高校2年の秋で、以来多木浩二の解説を中心にひたすら読み込みました。また、その上で自分の考えも拙いながら幾つか持つようになりました。たぶん、大学以降で何らかの形で研究はします。

(例1)「アウラ」を、集団を支配するものであると解釈するなら、単にそれはいわゆる「芸術作品」から失われたのみで、今日アウラは別のところに留まっているのでは?また、確かに国家を統制するほどのアウラは失われたが、より細分化された各共同体の中には未だにあるのでは?

 また、インターネット文化に強く関心があります。これについては、具体的に説明できるほどの知識が無いため、鍵となりそうな考えを箇条書きしてみるに留めます。

・エコーチェンバー現象等の問題は、システムアーキテクチャによる共同体の強化、的な意味で哲学分野の話題になり得るのではないか。

・インターネット文化は、例えばミームに代表されるよう、「作者の匿名性」と、「コピー&ペースト」が前提となっている。

 

今後の展望

・英語はもちろん、仏語をがんばる

多木浩二の著作をたくさん読む

・他、気になる研究者の著作、論文を読みまくる。(松本健太郎のをもっと読みたい!!)

・プログラミング出来るようにする

 

その他問題点:不健康すぎる

 生活困難者と言われても仕方ありません。基本的に顔色がおかしくて、いつまでも小学生のような体型でいる。学校生活をまともに送れない程度には生活が乱れている。困ったものですね。

 

 

 

制服のスカートと、恥の可能性

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 先日、「見えない支配」というテーマを持って某大学のAO入試を受験し、哲学科の合格を頂きました。その中で、面接試験では以下のような質問をされました。

「あなた自身も、自分が見えない支配を受けていると感じているの?」

 恐らく、これが最も核心に迫る質問でした。質問を受けて即、これは自分によりアクチュアルな話題にするべきなんだ、と考えると、直感的に「制服」というワードが浮かびました。 

「制服に自分を何かを支配され、何かを規定されている。」

 直感的に思いついたアイデアだったため、充分にまとめることが出来ず、面接終了後からやけにこれが頭に残っています。なので、本記事でこれを少しまとめてみます。

 まず、私の個人的な体験を紹介させてください。やけに記憶に残っている出来事です。

 中学校1年生で、入学後すぐの時期に、女子生徒と女性の先生だけの集会がありました。生徒たちは床に座り、先生が話し出すのを待っています。そして、前に出てくるなり開口一番に先生が言ったこと。

「みんなパンツ見えてますよ。」

 思いがけず衝撃的な先生の発言にどっと湧き、笑いが止まらない12歳の少女たちと、至って真顔の先生。この凄まじい温度差を鮮明に覚えている。記憶だと、この集会の目的は学校内での生理の対処の仕方を説明することだったはずなのですが、そんなことはもう忘れました。覚えているのは、その後です。

「みんなは、慣れてないから今は難しいと思うけど、これからは女の子として見えないように気をつけなきゃね。3年生はみんな、ちゃんと座れているよ。」

 今考えると、これも「規定」の1つだったと思います。スカートを強制されることで、「ある行動をすると、下着が見えてしまう」という「恥の可能性」が常に付き纏うことになる。これは、制服を着た状態ではその「ある行動」の可能性を女の子から奪うことに他ならないのではないでしょうか。例えば、リラックスした体勢でいるとか、走るとか、運動するとか。制服を着せられ、「恥」という罰を近くに置いておくことで、行動の可能性を削ぎ取られてゆく。こうして、「女の子の動作」が作られてゆくのかもしれません。

 もっとも、中学2年までは友人同士でスカートをめくり合う遊びが流行っていたので、あくまでも行動を変える第一の要因はスカートでは無いのでしょうが。